病気になったら、大病院や専門医を求めて彷徨っても、ゴールは無いかもしれないという話し。
●「大病院志向」が、望む医療を遠ざける
近年、特に問題視されているのは、日本人に根強い「大病院志向」です。「大きな病院のほうが医療機器も揃っていて、最先端の医学に基づいた治療が受けられて安心だ」。そう考える人が多く、中には軽い風邪を引いただけで大学病院に行ってしまうような人もいます。そうやって大きな病院に患者が集中してしまうことで、勤務医の疲弊(ひへい)が起きているのです。
それは、患者にとっても決していいことはありません。最先端の医療を受けたいとわざわざ大きな病院に行ったのに、思うような医療を受けられないとなれば、相当なストレスを感じることでしょう。よく言われる「3分診療」などもいい例です。3時間、4時間待って、診察時間はわずか3分。患者の不満はもっともですが、これはその病院に勤務する医者に対して患者の数が多すぎることも原因のひとつです。「最先端の医療を受けたい」と大学病院を受診しても、風邪であれば、町のお医者さんと同じ治療を受けることになります。
テレビなどのメディアでは盛んに最先端医療の素晴らしさが強調されますが、実際のところ、最先端の医療が万人にとって最善の選択というわけではありません。人間の体はまだまだ解明されていないことも多く、また病院に対しての治療法がすべて確立しているわけではありません。医療現場では、病気や、あるいは体の部位ごとに専門性を高め、日夜研究を続けていますが、最先端の医療とは、この高い専門性の下にあります。そしてあえて言えば、大学病院とは、それぞれの専門分野で研究や治療を行っているところであるため、専門分野を越えて患者を診察するというシステムにあまり力を入れていないのです。
つまり、最先端医療とは、特定の病気または体の部位に限られた、非常にピンポイントな治療である場合が多い。そして、それを必要とする患者というのは、実は一部にすぎないということを知っておく必要があるでしょう。
そう考えると、フリーアクセスは患者自身が賢くなることを要求される仕組み、とも言うことができます。医学的な知識を身に付けろ、ということではありません。現代医療の高い専門性を考えれば、自分で病気の見当をつけていきなり専門医にかかるといったことは、近道のようでいて実は遠回りであり、いわば「難民化」の始まりと言ってもいいかもしれません。そうではなく、医療機関を利用する側は、医療の仕組みについて、大まかなアウトラインだけでも押さえておく必要がある。ということを言いたいのです。
医療というのはひとつの医療機関だけで自己完結しているのではなく、異なる機能を持つ医療機関同士が役割分担し、互いに連携することによって、全体をカバーしています。そのような全体像をつかんでおくだけでも、自分の状態や目的に合った医療機関の選択がしやすくなるでしょう。
(「話を聴かない耳栓医者と思いを呑み込む仮面患者」)
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