科学はすべてでは無いという話し。
「脳はバカ、腸はかしこい」より抜粋。
●科学とエセ科学
私は過去、エセ科学者だと思う人に会ったことがあります(一方では、私自身がエセ科学者であると名指しされたこともありますが……)。
水の結晶を観察しながら、その水に「おはよう」と優しく声をかけると水の結晶の形が美しくなり、「バカヤロー」と呼びかけると水の結晶が汚く乱れるということを写真入りで本にし、結構売れた研究者がいます。小学校の道徳の時間に、この本が教材として採用されたこともありました。その研究者は私の研究室にやって来て、私の目の前で同じような実験をして見せてくれました。
そのとき私は、「ああ本当ですね。面白い現象ですね。水も人の気持ちが伝わるんだ。おはようと優しく声をかけたときの水の結晶の美しさは素晴らしいですね」とその研究者に言ったことを覚えています。
しかし私の頭の中では、「アンタ、本当にそんなことが起こると信じているの?前から感じていたけれど、まったくもってエセ科学者ですね」と思っていたのです。
頭でこんなことを思っているのに、まったく別のことを口で言った私は、いったいどうなっているのでしょうか。
このときの私は、脳で考えていたわけではなく、腹で人の話を受けとめる余裕があったからでしょう。もし私が脳だけで考えていたら、感情的に揚げ足をとる言動をしていたに違いありません。
水に優しい声をかけて結晶が変わるという話は、まったく「エセ科学者だ」と頭の中で思っていながら、そのことを当の研究者に直接言わなかったのは、私が腹で考えた結果、「別に目くじら立てて反論しなくても良い」と判断したからでしょう。
私は以前、「ABO式血液型で人の性格はある程度規定される」と発表したことがありました。その結果、多くの識者といわれる人たちから「単一の遺伝子から決まる血液型で、人の性格が異なるはずがない。藤田はエセ科学者だ」とバッシングを受けました。しかし免疫学を研究していると、「血液型で人の性格はある程度規定されるのは当然である」ということが自然にわかるのです。
実際は、科学とエセ科学の境界線を引くのは難しいことです。科学によって導かれた結果だからといって、100%正しいわけではないからです。逆に実験や観察がいい加減な場合でも、得られた結果が正しい場合もあるのです。本当の科学者とは「科学は私たちの行っている観察や実験で100%正しい結果を得ることはできない」と思っている人のことなのです。
現在の医学では、EBM(Evidence-based-medicine)が声高に叫ばれており、エビデンスがあればすべてが正しい結果であり、無条件で信用してしまう傾向にあります。しかしそのことは、たびたび重大な間違いを起こしているのです。エビデンスがあるからといって科学を無条件に信奉することは、エセ科学から離れていくように見えながら、実はぐるりと回ってエセ科学に近づくことになるのです。
私は脳で考えるだけでなく、腹の感覚を重視しています。宇宙のように謎だらけだけど、私たちの命を確かに支えてくれている腸の存在を常に想い、そんな中で腸内細菌の観察や実験を今もなお続けているのです。
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