●ランニングライフ
ブータン王国は、インドと中国に挟まれた、国土面積が九州くらいの小国です。
物質的には決して豊かではないこの国は、前国王が提唱した、金でも物質的豊かさでもなく幸せを増やそうとする国づくりをして、経済成長第一の”先進国”からそのあり方が注目されています。”国民総生産”(GNP:Gross National Product)でなく、”国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)”を政策の基礎にしているのです。
国内には信号機が一台もなく、代わりに人間が交通整理をしています。もちろん、それができる環境であるということでもありますが、同様にさまざまな分野で仕事を創出し、失業率はわずかに3.1%(2005年)。国民は、よく働いて、よく食べて、酒を飲んで楽しく暮らしていけるという生活を享受していると聞きます。幸せのあり方はいろいろあるけれど、金や物質的豊かさと幸せは、かならずしも同じ方向を向いていないのでは?と感じることがあります。
これがランニングにどう関係するのかと思うでしょう?私は自分のランニングライフもブータンのようにありたいなと思うわけです。物質的豊かさを、走能力や走る時間に置き換えてブータンを紹介するテレビを観る。すると、速くなくてもいいじゃん。毎日を楽しく暮らしていければ……と思えてきます。テレビ番組でブータンの首相(’08よりブータンは立憲君主制)が「幸せとは、いま自分が手にしているもので充分だと気づくことかもしれません……」というのが、そのままランニングを楽しむ心構えだなと思えてくるのです。駅伝に出るとか、レースに出て記録をねらうということになると、そうも言ってられないのですが、走ることが苦しくなってきたときは、ブータン王国を思い出すといいかも?と思います。
走りに対する価値を、単に”タイム”だけではなく”走った感”で評価するというのもありではないかと思います。
”走った感”とは、充分、不充分、ヘロヘロ、快調、感動、発見……といったような、主観性です。”感動”ってのはいいな。”発見”っていうのも悪くない。いつもねらって得られるものじゃないけれど、そんな走りができたら良いなと思う。ただ走るだけなら、太陽のあたらない室内でトレッドミルをやればいい。でも、外に出て、たとえば野山を走れば、普段には味わうことのできない感動や発見がありそうな気がする。歩くよりも長い距離を感じ、自転車より複雑な地形を味わう。走りならではの世界に行けそうな気がする。
そんな価値観を走りに求めることができたなら、ランニングは生活の大切な一部になるのではないでしょうか?
(「ランニングの科学」)
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