運動の教える側・教わる側の関係は、片方だけが良くても成り立たない。
お互いの意思の疎通が上手くいき、選手の考え方も成長しなくてはいけない。
私も選手の時、コーチに考えていることが伝わっていない気がして、1日の日記をレポート用紙に何枚も書いて渡していた記憶がある。高橋尚子もやってたんだ。。。なんて思いました(^o^)
前回の続き。高橋尚子インタビュー。
●名古屋国際女子マラソンで、高橋は2時間25分48秒の日本最高記録(当時)をマークして優勝。同年12月のバンコク・アジア大会の代表に選ばれた。
高橋:アジア大会を終えたあたりから、また小出監督との関係が変わった。言われたことをただやるのではなく、自分の意見を言うようになった。意見と言っても、以前のように「これがやりたい」ではなく、たとえば「今日は30kmやるぞ」と言われたら「私、今日は40km行けます」と思う日もある。それを監督に伝えると、もっと良いメニューが組めるようになる。
最終決定は監督がするのだが、私も「こう思ってるんですけど、どうでしょうか」とどんどん考えていることを言うようになって、2000年、2001年あたりは言うこと、考えていることが一致するようになった。私が「これやりたい」と言うと、「俺もそれをやらせたいと思ってたんだよ」ということになり、次の日に何のメニューが出てくるか読めるようになった。
こうやって、小出監督との関係は、3段階で進化してきた。私は、強くなるためにすごく良い段階を経たと思っている。自分も納得してきちんと言うことが聞けるようになったのは、「無」の時代があったからこそ。あとは、小出監督がすごく真剣に選手と向き合ってくれたことが、結果に結びついたのだと思う。
(月刊陸上競技)
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