時代的背景
1982年11月から1987年11月の長きに渡って、
中曽根康弘が、総理として政権を担当していました。
問題のプラザ合意には、当時の大蔵大臣 - 竹下登が
反対の立場をとり、膠着状態にありました。
それを打ち砕いたのが、JAL123便撃墜事件だった訳です。
これは、竹下登にとって相当な恫喝になったはずです。
竹下登は、完全に白旗を掲げました。
それのみならず、プラザ合意以降に、日本を巨大バブルに
導く密約をしたものと考えられます。
だからこそ、中曽根康弘の次に総理の椅子に座れた訳です。
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昭和の闇の中でも、僕にとってはとりわけ大きな闇です。
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